写経に必要な用具です。
[筆]
兎毛やイタチ毛のような、比較的腰の強く、毛先の鋭い筆がよいでしょう。
形は、穂先が鋭く突き出しているもの、あるいは、錐状の面相筆がよいです。
筆をおろすときは、指先で穂先を丁寧にもみほぐし、糊気を水につけてをとり、その上で墨液を含ませて毛先をそろえながら形を整えます。
[紙]
写経には、罫の入った紙を使ってください。
紙質は、墨のにじまないものがよいです。
[墨]
小型でよろしいですので上質なものを選びましょう。
写経には、粘らず、のびがよく、光沢に冴えのある、漆黒色の墨がいちばん適しています。
国産の、油煙墨でよいでしょう。
硯の陸(おか)にほんの少量の水を入れ、力を入れずにゆっくり磨ります。
少し濃い目にすっておいた方がよいでしょう。
使用後は、十分に水気を取り、湿気、直射日光をさけて保存するようにしてください。
[硯(すずり)]
ほんの数滴の水で般若心経が一巻書けますので、あまり大きくない、小型で質のよいものを選んで下さい。
使用後は、必ず墨を洗い流しておきます。
2007年6月27日水曜日
写経の様式
写経には決まりごとがあります。
〔天地のあき〕
写経用紙には天地があり、せまい方を天(上)に広い方を地(下)にします。
罫粋があり天地の広さがちがうのです。
これは、経典を尊崇する意味で、古くから行われてきた様式に従っているのです。
〔内題(首題)〕
一巻を代表する経題ですから、省略せずに正式な名称で書きます。
<例>摩詞般若波羅蜜多心経(真言宗系では仏説が加わります)長文の場合も一行につめ、しかも文字が小さくならないように書き、下に余白を持つのが、正式な法式です。
〔本文〕
一行十七字づめが決まり。
十七字にこだわらないものも少なくありませんが、これは、唐代の初めに統一されたと言われています。
〔奥題(尾題)〕
省略した題名が、よく用いられます。
<例>般若心経
〔願文〕
祈りをこめて書く写経には、願文を巻尾に書きます。年・月・日、姓名、写経の場所、誰のため、という順序です。
修養や書道としての写経なら、願文を書かなくて構いません。
[空行〕
内題の前、本文と奥題の間、奥題と願文の間、巻末などに空行をとることは、古来からの様式で、美的効果の上でも必要なことです。
[誤字、脱字の処置〕
脱字を見つけたときは、そこに筆先で黒点をつけ、脱字を行末に書くのが決まりです。
二字脱字なら、二点をつけます。
誤字は、本来、はじめから書き直すところですが、誤字の右肩に黒点をつけ、その行の上またはそばに、正しい字を書けばよいということになっています。
〔天地のあき〕
写経用紙には天地があり、せまい方を天(上)に広い方を地(下)にします。
罫粋があり天地の広さがちがうのです。
これは、経典を尊崇する意味で、古くから行われてきた様式に従っているのです。
〔内題(首題)〕
一巻を代表する経題ですから、省略せずに正式な名称で書きます。
<例>摩詞般若波羅蜜多心経(真言宗系では仏説が加わります)長文の場合も一行につめ、しかも文字が小さくならないように書き、下に余白を持つのが、正式な法式です。
〔本文〕
一行十七字づめが決まり。
十七字にこだわらないものも少なくありませんが、これは、唐代の初めに統一されたと言われています。
〔奥題(尾題)〕
省略した題名が、よく用いられます。
<例>般若心経
〔願文〕
祈りをこめて書く写経には、願文を巻尾に書きます。年・月・日、姓名、写経の場所、誰のため、という順序です。
修養や書道としての写経なら、願文を書かなくて構いません。
[空行〕
内題の前、本文と奥題の間、奥題と願文の間、巻末などに空行をとることは、古来からの様式で、美的効果の上でも必要なことです。
[誤字、脱字の処置〕
脱字を見つけたときは、そこに筆先で黒点をつけ、脱字を行末に書くのが決まりです。
二字脱字なら、二点をつけます。
誤字は、本来、はじめから書き直すところですが、誤字の右肩に黒点をつけ、その行の上またはそばに、正しい字を書けばよいということになっています。
正式な写経の作法
正式な写経の作法をご紹介したいと思います。
1 手を洗い、口をすすいで身を清めます。
2 香をたき、室内も清めます。
3 墨をゆっくりすり、心を静めます。
4 合掌して礼拝します。
5 願文を読誦します。
真言は不思議なり、観誦(かんじゅ)すれば無明(むみょう)を除く。
一字に千理を含み、即身(そくしん)に法如(ほうにょ)を証す。
行々(ぎょうぎょう)として円寂(えんじゃく)に至り、去々(ここ)として原初(げんしょ)に入る。
三界(さんがい)は客舎(かくしゃ)のごとし。一心はこれ本居(ほんこ)なり。
我、今至心(ししん)に懺悔し謹みて般若心経を写経し奉る。
仰ぎ願わくは、一字一文(いちじいちもん)法界に遍じ三世十方(さんぜじっぽう)の諸仏に供養し奉らん。
6 浄写します。(無我の境地に入り、至心に写経します)
7 祈念します。(それぞれの願いごとを書き、念ずじます)
8 般若心経を読誦します(合掌)。(浄書したお経に目を通しながら唱えます)
9 般若菩薩真言 を三返。
オン ヂシリシュロタ ビジャエイソワカ
10 回向します。
11 合掌して礼拝します。
12 退座。
以上です。
1 手を洗い、口をすすいで身を清めます。
2 香をたき、室内も清めます。
3 墨をゆっくりすり、心を静めます。
4 合掌して礼拝します。
5 願文を読誦します。
真言は不思議なり、観誦(かんじゅ)すれば無明(むみょう)を除く。
一字に千理を含み、即身(そくしん)に法如(ほうにょ)を証す。
行々(ぎょうぎょう)として円寂(えんじゃく)に至り、去々(ここ)として原初(げんしょ)に入る。
三界(さんがい)は客舎(かくしゃ)のごとし。一心はこれ本居(ほんこ)なり。
我、今至心(ししん)に懺悔し謹みて般若心経を写経し奉る。
仰ぎ願わくは、一字一文(いちじいちもん)法界に遍じ三世十方(さんぜじっぽう)の諸仏に供養し奉らん。
6 浄写します。(無我の境地に入り、至心に写経します)
7 祈念します。(それぞれの願いごとを書き、念ずじます)
8 般若心経を読誦します(合掌)。(浄書したお経に目を通しながら唱えます)
9 般若菩薩真言 を三返。
オン ヂシリシュロタ ビジャエイソワカ
10 回向します。
11 合掌して礼拝します。
12 退座。
以上です。
2007年6月26日火曜日
写経の意義
写経は仏の教えを体得するための仏道修行そのものです。
ですから、写経生や僧侶は斎戒沐浴して身を清め、部屋を荘厳して写経に臨みました。
ですが、初めて写経に取り組むという時は、そうした厳しい決まりごとに従うよりも、とにかくまずは書いてみることが大切です。
平常心で筆を取り、習字を楽しむぐらいの気持ちのほうが長続きします。
とはいっても、仏様の金言であるお経を書き写すのですから、一字一字を仏様と思って心を込め、清らかな気持ちで取り組むことが大切です。
心静かに書き写していると、次第に気持ちが落ち着き、一巻書き上げた時には、何か目的を成就した様なすがすがしい気分になります。
ですから、写経生や僧侶は斎戒沐浴して身を清め、部屋を荘厳して写経に臨みました。
ですが、初めて写経に取り組むという時は、そうした厳しい決まりごとに従うよりも、とにかくまずは書いてみることが大切です。
平常心で筆を取り、習字を楽しむぐらいの気持ちのほうが長続きします。
とはいっても、仏様の金言であるお経を書き写すのですから、一字一字を仏様と思って心を込め、清らかな気持ちで取り組むことが大切です。
心静かに書き写していると、次第に気持ちが落ち着き、一巻書き上げた時には、何か目的を成就した様なすがすがしい気分になります。
2007年6月24日日曜日
2007年6月23日土曜日
写経の歴史 その1
写経とは、お経を書き写すことです。
写経の歴史は仏教そのものの歴史といえるぐらい、その歴史は古くからあります。。
釈迦が入滅した後、その教えを後世に伝えるため、高弟を中心に弟子たちは一同に集い、編纂を試みました。
こうして体系付けられたのが、お経なのです。
その後大乗仏教の発展とともに、さらに新しいお経が次々と生まれました。
インドでは、初め多羅椰子(たらやし)という木の葉にサンスクリット語などで書かれていました、それが中国に入って漢文に訳されたのです。
こうしてお経は仏教徒たちの手によって次々に書写されて広まり、八万四千もの膨大な経典は、このように写経によって日本にも伝えられたのです。
写経の歴史は仏教そのものの歴史といえるぐらい、その歴史は古くからあります。。
釈迦が入滅した後、その教えを後世に伝えるため、高弟を中心に弟子たちは一同に集い、編纂を試みました。
こうして体系付けられたのが、お経なのです。
その後大乗仏教の発展とともに、さらに新しいお経が次々と生まれました。
インドでは、初め多羅椰子(たらやし)という木の葉にサンスクリット語などで書かれていました、それが中国に入って漢文に訳されたのです。
こうしてお経は仏教徒たちの手によって次々に書写されて広まり、八万四千もの膨大な経典は、このように写経によって日本にも伝えられたのです。
2007年6月22日金曜日
般若心経と「心」と「経」
般若心経の「心」原語は「フリダヤ」といい、「心臓」とか「精髄」の意味になります。
私たちの心のゆらゆらと揺れ動くさまのことではありません。
したがって、「心」は般若経という一群の経典類の真髄、エッセンスという意味になります。
般若心経の「経」は、サンスクリット原典にはありません。
末尾の文句に「経」という語はついていません、もともとなかった末尾の文句を経題にしたわけです。
しかし、やはり中国人は最後に「経」がついていないとしっくりこないと考えていたのでしょう。
私たちの心のゆらゆらと揺れ動くさまのことではありません。
したがって、「心」は般若経という一群の経典類の真髄、エッセンスという意味になります。
般若心経の「経」は、サンスクリット原典にはありません。
末尾の文句に「経」という語はついていません、もともとなかった末尾の文句を経題にしたわけです。
しかし、やはり中国人は最後に「経」がついていないとしっくりこないと考えていたのでしょう。
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